富士宮市で働く看護師の私が看護学生時代に経験した話。

 わたしは、地元の富士宮市に去年帰ってきて、看護師求人富士宮市で転職をして看護師をしています。
 これはいまから25年ほど前のこと。私が看護学生だったときのお話です。

 重症の肺疾患に対する最後の手段として「肺移植」があり、いまでこそ大学病院などでは治療法として確立してきていますが、当時はまだ動物実験の段階でした。
 先輩からの紹介で、私はある大学の「胸部外科」という医局でアルバイトをすることになりました。この医局は、保健所などから払い下げられてきたイヌを使って、肺移植の方法などを研究しているところでした。

 そしてイヌはいずれ「処分」される運命でした。

 医局には、秘書さんなどが務める事務室と、医師や大学院生が詰める居室、細胞培養などを行なう実験室1、そして「実験室2」がありました。

 実験室2は、まさにテレビドラマなどでよく見かけるような手術室をコンパクトにしたようなところでした。部屋の真ん中に手術台、その上には無影灯、そして周りには酸素ボンベや手術器具の入った棚が乱立・・・。少し手狭な部屋でした。
 そこで、実験用のイヌたちは一匹ずつ、オリの中で飼育されていました。全部で7,8匹くらいいたように記憶しています。私の仕事はまず、手術用ガウンに着替え、マスクをし、手袋をはめることから始まります。そしてオリの扉を開けてイヌを開放し、オリに敷いてある汚物まみれの新聞紙を取り払い、オリの柵にこびりついている糞をふき取り、再び新しい新聞紙を敷いてイヌをオリに戻すのが私の任務でした。
 人のもの動物のものを問わず、「糞」というものをこんなに間近で見る・触るのは初めてであり、最初のころはその強烈な匂いと触感に吐き気を催しながら仕事していました。ただ、イヌたちは皆おとなしい性格の子ばかりだったし、中にはすごく私に懐いてくるイヌもいたりで、次第に私はここで働くのが楽しみになっていったのです。

 バイトの時給は当時1,000円で、しかも自己申告制でした。
イヌが逃げ出さないよう実験室のドアは締め切ってありますから誰一人入ってきません。
密室の中で私はイヌたちとたわむれることに時間の大半を費やし、3時間働いたことにして事務室のノートに「3,000円」と記すことも、いまだから明かしますが度々あったのです。

 ある日、「その子」は手術台にいました。手術直後の様子であり、まだ麻酔が覚めずスースー寝ています。よくいっしょに遊んだ子でした。胸の大きな手術の傷が生々しかった。
私はいつもどおり作業を始めましたが、なぜかその日はバイトに入る前から早く帰りたい気分でしたし、どうしても「その子」の寝姿が気になってしまったのです。
いつになくそそくさと仕事を終わらせ、ガウンを脱ごうとしたとき。
手術台の傍らに、小瓶と注射器が無造作に置き捨てられているのに気づきました。

 そこから、服を着替え終わるまでの時間は、おそらく10分もなかったかもしれません。そのとき、たまたま研究室の医師の先生が部屋に入ってきて、私に声をかけました。
「やあ、元気?」
「はい。いま仕事終わったところです。今日はオペ(手術)だったんですか?」
「うんそうだよ」と相槌をうちつつ、先生は手術台の「その子」の様子をうかがっています。
「あれ?そろそろ(麻酔から)覚めるころなのになあ・・・」先生は覚醒をうながすように「その子」の足をポンポンと叩いています。
「今日はお先に失礼します」私は実験室を後にしました。

 真夏の夕立のあと、自転車にまたがりながら思い返しました。あの小瓶に入っていた筋肉注射用の麻酔薬を注射器いっぱいに取り、「その子」の太ももに打ち込んだことを。
 「あの世で、またいっしょに遊ぼうね」

Navigation